マンガ ローマ帝国の歴史2 アウグストゥス、揺るぎなき帝国の礎

4062139804マンガ ローマ帝国の歴史2 アウグストゥス、揺るぎなき帝国の礎
さかもと 未明 小堀 馨子
講談社 2007-04-21

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紀元前44年4月、オクタウィアヌスはギリシアからローマに向かう船上にいた。オクタウィアヌスがカエサルの後継者に指名されたが、カエサル軍の将軍だったアントニウスが軍の後ろ盾を得て、独裁者としてふるまっていたため、ローマは混乱していた。

イタリアに上陸すると、オクタウィアヌスはまずキケローに面会する。キケローは共和主義者なので進む道は異なるのだが、強敵アントニウスと戦うためには、老練なキケローを取り込む必要があった。18歳の少年が、この知識人すら手駒としか見ていなかったのだとしたら、恐るべきことである。

アントニウスはカエサルの遺産を押さえ込んだまま、自分が後継者である事を既成事実にしたかったが、オクタウィアヌスは父カエサルを記念する競技会を開催させるべく、有力者と面会する。

カエサルを暗殺した者達は隠れていたが、アントニウスの助けにより、カシウスはシリア属州総督として、マルクス・ブルートゥスはマケドニア属州総督として、合法的に海外脱出を果たす。

オクタウィアヌスは競技会を開催し、ローマの人々にその名を轟かせ、力を増大させていく。紀元前44年10月、カエサルがパルティア遠征のために集めた兵がギリシャから帰国し、ローマの情勢が一変する。

アントニウスは金で兵士を取り込もうとしたが、兵たちはカエサルの遺児オクタウィアヌスについた。「兵士で富は作れるが、富で兵士は作れない」というローマの諺通りの展開となった。

オクタウィアヌスに従う兵力が自分を上回る事を恐れたアントニウスは、北イタリア属州のデキウス・ブルートゥスに地位と軍団を明け渡すよう要求するが、拒否された。アントニウスはデキウスを攻撃する。ローマではキケローがアントニウス弾劾演説を行い、アントニウスをローマの敵に、オクタウィアヌスを救世主に仕立て上げていく。

オクタウィアヌスは軍を率いてアントニウスを攻撃し、アントニウスは西方に逃れる。ムティナの戦いで執政官のヒルティウスとパンサが戦士した。デキウス・ブルートゥスはガリア人に捕えられ、アントニウスに殺された。

オクタウィアヌスはアントニウスを追撃せず、ローマに帰還した。空席になった執政官に立候補させろと要求するが、軍事力を持ったオクタウィアヌスに抵抗出来る者はおらず、資格年齢より21歳も若い執政官が誕生する事になる。

美形で圧倒的なカリスマで若くして頭角を現すあたり、まるで銀河英雄伝説のラインハルトみたいではないか。オクタウィアヌスは、カエサルが生前求めた誓約に署名しながら破った者全員を有罪として追放する法案を通す。

オクタウィアヌス、レピドゥス討伐に向かったはずのオクタウィアヌスは、彼らと戦わず手を組むという、共和主義者ににとっては予想外の行動に出る。これで、ローマの実権は3人が掌握し、第2回三頭政治が始まる。

処罰者名簿には300人の元老院議員と2000人の騎士階級が載っていた。粛清されたのは130人で、残りの者は根こそぎ財産を奪われた。キケローも粛清された者の中に含まれていた。

ローマと元老院を完全に掌握したオクタウィアヌスは、ブルートゥスとカシウス討伐に向かう。ブルートゥス軍10万と三頭派軍12万がギリシアのフィリッピで激突する。ブルートゥス軍は破れ、カエサルを討った者は全て倒された。

西方世界をオクタウィアヌスが、東方世界をアントニウスが、影の薄いレピドゥスは北アフリカを掌握する事になる。アントニウスはエジプトに向かうが、クレオパトラの誘惑に負けてしまう。

紀元前41年の秋、アントニウスは本国にいる妻フルウィアと弟ルキウスに挙兵させるが、すぐに鎮圧される。アントニウスは妻と弟を見捨て、2人に責任を負わせる。酷い奴である。

オクタウィアヌスはアントニウスを許すが、ブルンディシウム協定を結び、互いの任地への不可侵を約束させる。オクタウィアヌスは姉のオクタウィアとアントニウスを結婚させ、自分はフルウィアの連れ子だったクローディアを貰うと言い出す。

その後、オクタウィアヌスはクローディアではなく、ポンペイウスの子セクストゥスの親戚スクリボニアと結婚する。ある日、クラウディウス・ネロの妻リウィアを見かけたオクタウィアヌスは、夫のクラウディウスに交渉して、正妻としてリウィアを迎え入れた。リウィアの連れ子は、後に皇帝ティベリウスとなる。

セクストゥスに不穏な動きがあるため、スクリボニアは離縁される。オクタウィアヌスはポンペイウス・セクストゥスを討伐し、勢力を増大させていく。

アントニウスはパルティア遠征を企てるが、シリアのアンティオキアでクレオパトラに会うと、とんでもない行動に出る。クレオパトラと結婚し、贈り物としてユダヤを除くオリエントの統治権をクレオパトラに与えてしまったのである。

紀元前33年、アントニウスはアレクサンドリアで凱旋式を挙げ、その功績をイシス神の姿をしたクレオパトラに捧げた。ローマ軍がエジプト女王のために貢献した証となるこの行為は、ローマへの侮辱と受け止められた。

紀元前31年3月、ローマ軍はギリシアに向かい、アントニウスはアクティウム海域のアンブラキア湾内で待機していた。アントニウス軍の指揮官は陸戦を主張するが、アントニウスは海戦を選択する。

この時、アントニウス軍のほうがわずかに有利だったらしいが、クレオパトラはアントニウスを見捨てて逃げてしまう。そして、アントニウスも彼のために戦ったローマ兵を見捨てて逃げてしまう。

紀元前30年8月1日、オクタウィアヌスはアレクサンドリアを占領し、エジプトの財宝は押収された。カエサルやアントニウスと違って、オクタウィアヌスにクレオパトラの色香は通用しなかった。クレオパトラは自決し、プトレマイオス朝は滅亡した。

ローマに凱旋したオクタウィアヌスは、自分に集中していた権力をローマ市民の手に返す事を宣言するが、これは独裁のための布石だった。

オクタウィアヌスはアウグストゥス(神聖を意味する)となり、常備軍と国税庁の創設を創設する。40歳になると、側近のアグリッパと共に執政官から退くと宣言した。執政官は毎年の市民投票で選出するようにし、やり残したことのために1年期限で護民官特権を望んだ。

アウグストゥスには肉体の不可侵権、平民を守る権利、平民会招集権、政策立案権と拒否権が付与され、異議がなければ自動的に更新された。

アウグストゥスの時代には、結婚生活の束縛を嫌う者が増えて少子化が進行したので、ユリウス姦通罪婚外交渉罪法、ユリウス正式婚姻法を成立させる。続いてパピウス・ポンペイウス法により、独身者や再婚しない者、子を産まない者は財産相続権を失った。

支配者としては成功したアウグストゥスだったが、私生活では恵まれていない。娘は淫乱で言う事を全く聞かないし、連れ子のティベリウスはロードスに引き籠ってしまう。残虐で頭のおかしい孫が生まれて来るし、優秀な世継ぎ候補は病気や怪我で先に死んでしまう。

血縁に拘り続けたアウグストゥスだったが、結局は地位を捨てて引き籠っていたティベリウスが呼び戻される。77歳目前でアウグストゥスは死に、ティベリウスが後継者となった。


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